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日本の戦争映画にしては数少ない後味スッキリの素晴らしい作品。撤退という後ろ向きな作戦を描いているにも関わらず「勝った」と感じてしまう実によくできた名作だと思います。
この頃の役者は軍服を着ると本物の軍人みたいに見える。
霧の中、阿武隈が吹き鳴らすラッパを耳にして、「入港用意のラッパだ!」「あっ、艦隊だ!艦隊だ!」と喜ぶ守備隊の人達の姿。艦隊が錨を降ろし、所定の艦に向かう大発に乗り込んだ守備隊の人達の表情。満面の笑みを浮かべた人、感極まったようにグッと歯を食い縛る人。本当にいい映画でした。
最近のタレントもどきではできない演技ですね
DVD買ってしまいましたwww
霧の中から現れた艦隊に気付いて守備隊の犬が吠えるシーンが好きです。
「そうか、怒ったか」「顔を真っ赤にして怒鳴られました」「人間たまには怒ったほうがいい、戦争をしとるんだからな、戦争を」 作戦中で批判の矢面に立たされているのに、この余裕私も見習いたいです。名男優たちのすばらしい映画でした。
日本の戦争映画には珍しいハッピーエンドな作品。主役が戦艦でないというのも。
この映画、大好きな一本です。ビデオ、DVD何回観たことか。東宝男優陣総出演!てっいうか、この映画、女の人誰も出ていないんですよねwまさに骨太の映画だ。。
男祭りの映画に駄作無し!その点では「眼下の敵」と並び戦争映画の傑作!
キスカ撤退作戦といえば、当然木村昌福少将がクローズアップされますが、私は、藤田進さん演じる陸軍守備隊峯木少将が、艦隊が引き返してしまい、将兵が意気消沈している折「(引き返したとは言え)戦時繁多の折、我々守備隊のためにこのような艦隊を仕立ててくれたことに対する感謝の念を忘れてはならない」と訓示するシーンが忘れられません。これこそ日本人の心だと思います。
「祖国日本の親心」と言ったのも印象的でした。そういった国に対する気持ちはいつの時代も忘れてはいけないと思います。
火垂るの墓、この世界の片隅で、奇跡の作戦キスカ 戦闘の無い世界の無い 誇れる映画で素晴らしい音楽❗ビューティフル❗️
ヴェルデイの歌劇「アイーダ」の「凱旋の行進曲」でアイーダトランペットが響く旋律からインスパイアされていますね。その感じが面白かったですね。
東宝の81$シリーズのテーマ曲は大御所も多く名曲揃いだと思う😀DVD持ってます✨
久保明の将校一人脱出させるため沈没していくイ号潜水艦の悲しい😭エピソードは忘れられない。
音楽さえも天才
帰ればまた来る事が出来る。 この一言が5200名を無傷で救出したんですよね。当時の日本軍でそうそう言えるセリフじゃないでしょう。
栄えある撤退作戦 東宝戦争映画の傑作だな。
希望と安堵に溢れた曲
アッツ島玉砕のさなか、海霧にまぎれての「奇跡の大救出」だったキスカ島の日本ニユースだったら最高。團伊玖磨の音源も久しぶりに聞きました。
「国の為に戦った事ではあるが、国の為とは自分の家族の為だったと思う。自分の家族、つまり親や家内・子供たちを守るためであったと思う」木村昌福終戦時に同じことを言った米陸軍の人たちがいるんだ・・・第442連隊の人たちだよ。
撤退作戦なのに痛快感を味わえる希有な名作映画だ。ハラハラする場面に流れるこのマーチが、また実にカッコいい。ちょっとだけ「鉄腕アトム」を思い出させるけど…。
すばらしい!私にとって生涯最高の戦争映画でした。個人的には後のマネジメントにも強く影響したように思います。正確な表現は覚えていませんが、たしか霧が晴れてきてしまい「引き返せば再び来ることができる」といって強引な突入をやめ断腸の思いで一旦もどるシーンには胸があつくなりました。
黒澤作品の三船さんもいいですが、黒澤さん以外の監督で、三船の魅力を引き出せた唯一の映画ではないかな?山本五十六を演じるのも悪くないが、兵学校をドン尻で出たという大村少将の設定のほうが、あっている。おそらくGHQの占領後もアメリカから睨まれていて、日本が勝利するような戦争映画なんて作れなかったと思う。だからこそ、逆転の発想で「人間の命」を重んじた映画で、こんな名作を生み出せた。若い日本人に一番観てほしい映画だが、白黒画面を嫌がらずにチャレンジして欲しい。
当時の東宝関係者に聞いたことがあります。撤退を待つ間、海岸で待機するシーンは精進湖で撮ったそうです。カラーじゃ無理だ、っとおっしゃっていました。
木下馨 色がつくと、ダメなんですよね。例えば、御殿場の演習場が、白黒なら満州の荒野や、戦国の合戦場になるのが、カラーでは見えない。岡本喜八監督もおっしゃってました。
いつ聞いても素晴らしいマーチですね。UP ありがとうございます!
いい映画でした。木村提督はまさに名将です。撤退は、日本軍では恥でした。しかし、西洋の軍隊では、戦略的撤退で反攻のための戦力を抽出することは、普通に行われていました。凝り固まった戦略が日本軍の弱点だったとおもいます。そのなかで、上記の作戦を実行した、木村少将と上官の河瀬第五艦隊司令官は、ほんとうにすばらしい。
一番むずかしい作戦を善く成功させました。全員救出万歳!!
だが、救出された将兵はその後、侵攻してくるソ連軍と択捉島で戦い玉砕している。時に昭和20年8月28日。
命を捨てる作戦は、作戦と言いません。これぞ作戦です。大事な事です木村閣下、名将木村は日本海軍の鏡と言っても良いと思います
海ゆかば 様、わたくしもそう思います。
日本海軍きっての良心な司令官ですよね。人命重視の戦術をしてくれた。
海の難所や霧の中を乗り越えキスカ島守備隊を救出すると言う当時ではアッツ島玉砕が当然の様に語られていた風潮の中で良く救出してくれたと言う美談である、正に奇跡、後日アメリカ上陸部隊が霧の中銃を撃ちまくって同士討ちをやらかした件負けている最中気が晴れる気がした。
これは珍しいものを有難うございます
負け戦撤退作戦なのに「気分が明るく」なる作品、ハンモックナンバーにこだわり適材適所の人事ができなかった日本海軍の限界を感じてしまう。木村少将や田中頼三少将を上手く使いこなせなかった海軍を残念に思う。撤退作戦に反対の西村晃さん演じる一部長の富岡少将は史実では撤退作戦「ケ号作戦」推進派、藤田進さん演じる秋山少将はクエンゼリン島で戦死され田崎潤さん演じる渋谷阿武隈艦長は戦後も生き残られ「回顧録」を書いています。木村少将は敗戦後、中将に進級予備役、山口県で塩田開発の会社を経営され天寿を全うされました
五島正樹 さん。クエンゼリン島で戦死したのは、秋山門造海軍少将で、キスカ(第51根拠地隊司令官)の秋山勝三少将は戦後まで生存してらっしゃいました。
この作戦はある意味「勝ち戦」だったと思います。なんせ失敗ばかりの日本海軍の作戦の中で数少ない戦術的にも、戦略的にも成功した作戦ですから!
「ペスト菌あり」と云う偽看板で米軍震え上がらせたからある意味勝ち戦でしょ!😅
今なら色々忖度して出征前や回想で女優を出さざる得ないけど、この時代の映画は1人も女優が出ない映画を作れたんだよね。戦争映画は反戦を盛り込む必要も無いしわざわざ女優を出す必要も無い。
1970年以降の邦画戦争映画がつまらなくなった要因
氏の有名なエッセイにもこの映画のことが語られていたのを思い出します。
At the photo above legenndary japonese actor Toshiro Mifume.😀😀😀
涙出るなあ、撤退の決断と実行、今の日本人果たしてできるだろうか・・・?
此の曲ㇳ「日本海大海戦」のテーマは名曲ですよね😂
「ヒゲのショーフク」と言われ、下士官・水兵達に慕われた木村昌福中将(きむら まさとみ)は、海軍兵学校41期卒業です。海軍兵学校の同期生の中には、沖縄方面特別根拠地隊司令官として、「沖縄県民、カク戦エリ」と、海軍次官に打電した後に戦死した太田實中将、連合艦隊参謀長として伊藤整の中将率いる第二艦隊(旗艦 大和)に沖縄海上特攻作戦を下命した草鹿龍之介中将、ルンガ沖野戦で見事な勝利を収めた田中頼三中将、硫黄島の戦いで栗林忠道大将と一緒に戦死した、市丸利之助中将などがいます。
キスカ撤退作戦当時の第一水雷戦隊通信参謀だった星野清三郎大尉(海兵63期、終戦時海軍少佐。戦後、海上自衛隊海将)の私家版「ヒゲの提督 木村昌福伝」を読みたいが、どこかで発売されていないかな?
マーチの名曲です。アップしてくれてありがとうございます。
パイプのけむりで映画キスカに触れられていましたが、作曲されていたのですね
藤田進さんは、海軍第51根拠地隊司令秋山勝三少将(劇中では秋谷少将)でした。
名曲。我国の大切な行進曲。
どことなく、「鉄腕アトム」の響きが...
太平洋戦史に残る日本の完全試合。犬三匹をのこして、キスカ島守備隊5000余名を一兵残らず完全撤収。この映画音楽が吹奏楽アレンジされていたんですね。
+hamasanTuba まさに木村提督の時を読む力と機敏な判断力のなせる業でしたね
小学校の運動会で使って欲しい。敵国海軍の「錨を上げて」とか使ってるのは信じられない。
木村少将「対空、対潜警戒を厳にせよ!」
面白い日本の戦争映画でした。
陸軍のユダヤ人を助けた将軍も支援していたらしいし。何て名前だったかな?・・あっ❗樋口季一郎とか。
第5艦隊うごかん隊
「5ハイと言ったら5ハイ」「10パイと言ったら10パイ」「1・2・3・4・5… 6パイですっ!」
ダンケルクが楽しみだなあ。
木村提督ならあのダンケルク撤退作戦も成功させる事が出来るだろうな
私はまだ生まれていませんが、キスカの司令官の英断に拍手!今の日本にこんな決断がくだせる人がいると思いますか?
佐藤大佐や番匠大佐や田母神少将や寺本中将や木元中将なら可能だろう。残念ながら全員退役しておられるが
後沖縄の大田提督のご子息で落合大佐だな
後で上陸してくる米兵への嫌がらせで居住跡に『コレラ患者各離病棟』と看板立てといたらしい。日本語で。読めるわけないので家探ししている間に解読されて、知らされた兵隊パニック。ちなみにウソだったw
敵艦百隻の真っ只中を斬り込んだ大壮挙敵の意図が崩れたとも言うべき米軍は同士討ちをやっていたといいますから一本獲ったわけですね。
木村昌福提督だけじゃないよ。連合艦隊にいた同期の草鹿龍之介提督もやり易いようにいろいろと手回ししていたみたいだし
永田寛 さん。木村昌福中将のクラス(海軍兵学校41期)は、多士済々です。市丸利之助中将や、田中頼三中将、太田實中将、草鹿龍之介中将、などなど。
貴重な情報ありがとうございます🙇
永田寛 さん。海軍兵学校41期生について追記保科善四郎中将、松永貞市中将
「5杯と言ったら5杯!」「10杯といったら10杯!」「6杯も来ました!」だっけ?
陸海軍一丸と成りゃアメ公と言えど苦戦は避けられねぇ。それが先の後半戦の失敗の原因の一つだ。二つ目は本間雅晴、岡沢祐、栗林忠道と近代戦争を理解出来かつ戦える将軍を初戦から投入しなかった東条英機らのミスリードだ
私てきには陸上自衛隊・宮崎繁三郎・海上自衛隊・木村昌富・航空自衛隊・吉良俊一・防衛庁長官・保科善四郎か後藤田正晴
後藤田正晴は使い物にならない。飾り物の時はいいが、実戦向きじゃない。大体軍学校出身でない者を防衛庁長官に据えるという人事体系がイミフ。
旋律にアイーダマーチを思わせる部分がある。
自衛隊の初代総司令官に木村少将こそがふさわしいと思えるが皆様は如何に?
聯合艦隊司令長官にならふさわしいと思う。
自衛隊はこの曲を採用せい。
アッツは、気の毒です><。
日本軍、撤退後に、米兵の同士討ちが起こります><。霧が深かったようで~。残念。
明治以来日本軍は強くはなかった。日本海海戦でさえ幾つもの敵失に助けられている。いわば幸運であった。ただ、その幸運を手に入れる為に血の出る様な努力や気が狂うほど考えに考え尽くして勝利を手に入れてきた。
それは戦後日本人の敗北主義ですね
撤退だが、勝利に近い
だいたい加担出来ないとかほざく輩はいざと言う時は中国人にこの日本を売り渡しかねんわ・・お〰怖い怖い。(^o^;)
まさか巡洋艦木曽の艦長って神重徳大佐?だったら木村少将にはラッキーだな。更に駆逐艦島風まで手に入れるとは!確か島風には戦艦大和とと同じ最新鋭のレーダーが配備されていたはずだが。
永田寛 てっきり峯風型駆逐艦の島風だと思っていました。丙型駆逐艦だったのですね。
但し航空自衛隊に関しては源田実でも可
源田は信用ならんと直属の部下であった自分の祖父の従兄弟が言っておった。戦後新しい軍隊を作るから来ないかと二期先輩の源田に誘われ海軍中将にしてやる(聨合艦隊参謀長待遇)と言われたのだが胡散臭い男の言う事は聴くものかとその申し出を蹴ったそうだ。
源田はチョットねえ。
ルメイに勲章与える逆賊。昭和天皇が御怒りになられたことは有名な話だ。
旧海軍士官の父は源田が大嫌いだったな。淵田は淵田さん淵田さんと慕っていたが。
後に『史上最大の作戦』を凌ぐと自画自賛超大作のセルフ誉れを吹かし捲くって大コケした、『遠すぎた橋』がパクってますね・・・
日本の戦争映画にしては数少ない後味スッキリの素晴らしい作品。
撤退という後ろ向きな作戦を描いているにも関わらず「勝った」と感じてしまう実によくできた名作だと思います。
この頃の役者は軍服を着ると本物の軍人みたいに見える。
霧の中、阿武隈が吹き鳴らすラッパを耳にして、「入港用意のラッパだ!」「あっ、艦隊だ!艦隊だ!」と喜ぶ守備隊の人達の姿。
艦隊が錨を降ろし、所定の艦に向かう大発に乗り込んだ守備隊の人達の表情。満面の笑みを浮かべた人、感極まったようにグッと歯を食い縛る人。
本当にいい映画でした。
最近のタレントもどきではできない演技ですね
DVD買ってしまいましたwww
霧の中から現れた艦隊に気付いて守備隊の犬が吠えるシーンが好きです。
「そうか、怒ったか」
「顔を真っ赤にして怒鳴られました」
「人間たまには怒ったほうがいい、戦争をしとるんだからな、戦争を」
作戦中で批判の矢面に立たされているのに、この余裕
私も見習いたいです。名男優たちのすばらしい映画でした。
日本の戦争映画には珍しいハッピーエンドな作品。主役が戦艦でないというのも。
この映画、大好きな一本です。ビデオ、DVD何回観たことか。
東宝男優陣総出演!
てっいうか、この映画、女の人誰も出ていないんですよねwまさに骨太の映画だ。。
男祭りの映画に駄作無し!
その点では「眼下の敵」と並び戦争映画の傑作!
キスカ撤退作戦といえば、当然木村昌福少将がクローズアップされますが、
私は、藤田進さん演じる陸軍守備隊峯木少将が、
艦隊が引き返してしまい、将兵が意気消沈している折
「(引き返したとは言え)戦時繁多の折、
我々守備隊のためにこのような艦隊を仕立ててくれたことに対する
感謝の念を忘れてはならない」と訓示するシーンが忘れられません。
これこそ日本人の心だと思います。
「祖国日本の親心」と言ったのも印象的でした。
そういった国に対する気持ちはいつの時代も忘れてはいけないと思います。
火垂るの墓、この世界の片隅で、奇跡の作戦キスカ 戦闘の無い世界の無い 誇れる映画で素晴らしい音楽❗ビューティフル❗️
ヴェルデイの歌劇「アイーダ」の「凱旋の行進曲」でアイーダトランペットが響く旋律からインスパイアされていますね。その感じが面白かったですね。
東宝の81$シリーズのテーマ曲は大御所も多く名曲揃いだと思う😀DVD持ってます✨
久保明の将校一人脱出させるため沈没していくイ号潜水艦の悲しい😭エピソードは忘れられない。
音楽さえも天才
帰ればまた来る事が出来る。 この一言が5200名を無傷で救出したんですよね。当時の日本軍でそうそう言えるセリフじゃないでしょう。
栄えある撤退作戦 東宝戦争映画の傑作だな。
希望と安堵に溢れた曲
アッツ島玉砕のさなか、海霧にまぎれての「奇跡の大救出」だったキスカ島の日本ニユースだったら最高。團伊玖磨の音源も久しぶりに聞きました。
「国の為に戦った事ではあるが、国の為とは自分の家族の為だったと思う。自分の家族、つまり親や家内・子供たちを守るためであったと思う」
木村昌福
終戦時に同じことを言った米陸軍の人たちがいるんだ・・・
第442連隊の人たちだよ。
撤退作戦なのに痛快感を味わえる希有な名作映画だ。ハラハラする場面に流れるこのマーチが、また実にカッコいい。ちょっとだけ「鉄腕アトム」を思い出させるけど…。
すばらしい!私にとって生涯最高の戦争映画でした。個人的には後のマネジメントにも強く影響したように思います。正確な表現は覚えていませんが、たしか霧が晴れてきてしまい「引き返せば再び来ることができる」といって強引な突入をやめ断腸の思いで一旦もどるシーンには胸があつくなりました。
黒澤作品の三船さんもいいですが、
黒澤さん以外の監督で、三船の魅力を引き出せた唯一の映画ではないかな?
山本五十六を演じるのも悪くないが、兵学校をドン尻で出たという大村少将の設定のほうが、あっている。
おそらくGHQの占領後もアメリカから睨まれていて、日本が勝利するような戦争映画なんて作れなかったと思う。
だからこそ、逆転の発想で「人間の命」を重んじた映画で、こんな名作を生み出せた。
若い日本人に一番観てほしい映画だが、白黒画面を嫌がらずにチャレンジして欲しい。
当時の東宝関係者に聞いたことがあります。撤退を待つ間、海岸で待機するシーンは精進湖で撮ったそうです。カラーじゃ無理だ、っとおっしゃっていました。
木下馨 色がつくと、ダメなんですよね。例えば、御殿場の演習場が、白黒なら満州の荒野や、戦国の合戦場になるのが、カラーでは見えない。岡本喜八監督もおっしゃってました。
いつ聞いても素晴らしいマーチですね。
UP ありがとうございます!
いい映画でした。
木村提督はまさに名将です。
撤退は、日本軍では恥でした。しかし、西洋の軍隊では、戦略的撤退で反攻のための戦力を抽出することは、普通に行われていました。
凝り固まった戦略が日本軍の弱点だったとおもいます。
そのなかで、上記の作戦を実行した、木村少将と上官の河瀬第五艦隊司令官は、ほんとうにすばらしい。
一番むずかしい作戦を善く成功させました。全員救出万歳!!
だが、救出された将兵はその後、侵攻してくるソ連軍と択捉島で戦い玉砕している。時に昭和20年8月28日。
命を捨てる作戦は、作戦と言いません。これぞ作戦です。大事な事です木村閣下、名将木村は日本海軍の鏡と言っても良いと思います
海ゆかば 様、わたくしもそう思います。
日本海軍きっての良心な司令官ですよね。人命重視の戦術をしてくれた。
海の難所や霧の中を乗り越えキスカ島守備隊を救出すると言う当時ではアッツ島玉砕が当然の様に語られていた風潮の中で良く救出してくれたと言う美談である、正に奇跡、後日アメリカ上陸部隊が霧の中銃を撃ちまくって同士討ちをやらかした件負けている最中気が晴れる気がした。
これは珍しいものを有難うございます
負け戦撤退作戦なのに「気分が明るく」なる作品、ハンモックナンバーにこだわり適材適所の人事ができなかった日本海軍の限界を感じてしまう。木村少将や田中頼三少将を上手く使いこなせなかった海軍を残念に思う。撤退作戦に反対の西村晃さん演じる一部長の富岡少将は史実では撤退作戦「ケ号作戦」推進派、藤田進さん演じる秋山少将はクエンゼリン島で戦死され田崎潤さん演じる渋谷阿武隈艦長は戦後も生き残られ「回顧録」を書いています。木村少将は敗戦後、中将に進級予備役、山口県で塩田開発の会社を経営され天寿を全うされました
五島正樹 さん。
クエンゼリン島で戦死したのは、秋山門造海軍少将で、キスカ(第51根拠地隊司令官)の秋山勝三少将は戦後まで生存してらっしゃいました。
この作戦はある意味「勝ち戦」だったと思います。なんせ失敗ばかりの日本海軍の作戦の中で数少ない戦術的にも、戦略的にも成功した作戦ですから!
「ペスト菌あり」と云う偽看板で米軍震え上がらせたからある意味勝ち戦でしょ!😅
今なら色々忖度して出征前や回想で女優を出さざる得ないけど、この時代の映画は1人も女優が出ない映画を作れたんだよね。戦争映画は反戦を盛り込む必要も無いしわざわざ女優を出す必要も無い。
1970年以降の邦画戦争映画がつまらなくなった要因
氏の有名なエッセイにもこの映画のことが語られていたのを思い出します。
At the photo above legenndary japonese actor Toshiro Mifume.
😀😀😀
涙出るなあ、撤退の決断と実行、今の日本人果たしてできるだろうか・・・?
此の曲ㇳ「日本海大海戦」のテーマは名曲ですよね😂
「ヒゲのショーフク」と言われ、下士官・水兵達に慕われた木村昌福中将(きむら まさとみ)は、海軍兵学校41期卒業です。
海軍兵学校の同期生の中には、沖縄方面特別根拠地隊司令官として、「沖縄県民、カク戦エリ」と、海軍次官に打電した後に戦死した太田實中将、連合艦隊参謀長として伊藤整の中将率いる第二艦隊(旗艦 大和)に沖縄海上特攻作戦を下命した草鹿龍之介中将、ルンガ沖野戦で見事な勝利を収めた田中頼三中将、硫黄島の戦いで栗林忠道大将と一緒に戦死した、市丸利之助中将などがいます。
キスカ撤退作戦当時の第一水雷戦隊通信参謀だった星野清三郎大尉(海兵63期、終戦時海軍少佐。戦後、海上自衛隊海将)の私家版「ヒゲの提督 木村昌福伝」を読みたいが、どこかで発売されていないかな?
マーチの名曲です。アップしてくれてありがとうございます。
パイプのけむりで映画キスカに触れられていましたが、作曲されていたのですね
藤田進さんは、海軍第51根拠地隊司令秋山勝三少将(劇中では秋谷少将)でした。
名曲。我国の大切な行進曲。
どことなく、「鉄腕アトム」の響きが...
太平洋戦史に残る日本の完全試合。
犬三匹をのこして、キスカ島守備隊5000余名を一兵残らず完全撤収。
この映画音楽が吹奏楽アレンジされていたんですね。
+hamasanTuba まさに木村提督の時を読む力と機敏な判断力のなせる業でしたね
小学校の運動会で使って欲しい。敵国海軍の「錨を上げて」とか使ってるのは信じられない。
木村少将「対空、対潜警戒を厳にせよ!」
面白い日本の戦争映画でした。
陸軍のユダヤ人を助けた将軍も支援していたらしいし。何て名前だったかな?・・あっ❗樋口季一郎とか。
第5艦隊うごかん隊
「5ハイと言ったら5ハイ」「10パイと言ったら10パイ」「1・2・3・4・5… 6パイですっ!」
ダンケルクが楽しみだなあ。
木村提督ならあのダンケルク撤退作戦も成功させる事が出来るだろうな
私はまだ生まれていませんが、キスカの司令官の英断に拍手!今の日本にこんな決断がくだせる人がいると思いますか?
佐藤大佐や番匠大佐や田母神少将や寺本中将や木元中将なら可能だろう。残念ながら全員退役しておられるが
後沖縄の大田提督のご子息で落合大佐だな
後で上陸してくる米兵への嫌がらせで居住跡に『コレラ患者各離病棟』と看板立てといたらしい。日本語で。読めるわけないので家探ししている間に解読されて、知らされた兵隊パニック。ちなみにウソだったw
敵艦百隻の真っ只中を斬り込んだ大壮挙
敵の意図が崩れたとも言うべき
米軍は同士討ちをやっていたといいますから
一本獲ったわけですね。
木村昌福提督だけじゃないよ。連合艦隊にいた同期の草鹿龍之介提督もやり易いようにいろいろと手回ししていたみたいだし
永田寛 さん。
木村昌福中将のクラス(海軍兵学校41期)は、多士済々です。
市丸利之助中将や、田中頼三中将、太田實中将、草鹿龍之介中将、などなど。
貴重な情報ありがとうございます🙇
永田寛 さん。
海軍兵学校41期生について追記
保科善四郎中将、松永貞市中将
「5杯と言ったら5杯!」「10杯といったら10杯!」「6杯も来ました!」だっけ?
陸海軍一丸と成りゃアメ公と言えど苦戦は避けられねぇ。それが先の後半戦の失敗の原因の一つだ。二つ目は本間雅晴、岡沢祐、栗林忠道と近代戦争を理解出来かつ戦える将軍を初戦から投入しなかった東条英機らのミスリードだ
私てきには陸上自衛隊・宮崎繁三郎・海上自衛隊・木村昌富・航空自衛隊・吉良俊一・防衛庁長官・保科善四郎か後藤田正晴
後藤田正晴は使い物にならない。飾り物の時はいいが、実戦向きじゃない。大体軍学校出身でない者を防衛庁長官に据えるという人事体系がイミフ。
旋律にアイーダマーチを思わせる部分がある。
自衛隊の初代総司令官に木村少将こそがふさわしいと思えるが皆様は如何に?
聯合艦隊司令長官にならふさわしいと思う。
自衛隊はこの曲を採用せい。
アッツは、気の毒です><。
日本軍、撤退後に、米兵の同士討ちが起こります><。霧が深かったようで~。残念。
明治以来日本軍は強くはなかった。日本海海戦でさえ幾つもの敵失に助けられている。いわば幸運であった。ただ、その幸運を手に入れる為に血の出る様な努力や気が狂うほど考えに考え尽くして勝利を手に入れてきた。
それは戦後日本人の敗北主義ですね
撤退だが、勝利に近い
だいたい加担出来ないとかほざく輩はいざと言う時は中国人にこの日本を売り渡しかねんわ・・お〰怖い怖い。(^o^;)
まさか巡洋艦木曽の艦長って神重徳大佐?だったら木村少将にはラッキーだな。更に駆逐艦島風まで手に入れるとは!確か島風には戦艦大和とと同じ最新鋭のレーダーが配備されていたはずだが。
永田寛 てっきり峯風型駆逐艦の島風だと思っていました。丙型駆逐艦だったのですね。
但し航空自衛隊に関しては源田実でも可
源田は信用ならんと直属の部下であった自分の祖父の従兄弟が言っておった。戦後新しい軍隊を作るから来ないかと二期先輩の源田に誘われ海軍中将にしてやる(聨合艦隊参謀長待遇)と言われたのだが胡散臭い男の言う事は聴くものかとその申し出を蹴ったそうだ。
源田はチョットねえ。
ルメイに勲章与える逆賊。昭和天皇が御怒りになられたことは有名な話だ。
旧海軍士官の父は源田が大嫌いだったな。淵田は淵田さん淵田さんと慕っていたが。
後に『史上最大の作戦』を凌ぐと自画自賛超大作のセルフ誉れを吹かし捲くって大コケした、『遠すぎた橋』がパクってますね・・・